ばあちゃんの話 2月14日【曇り】

今日はずいぶんためこんでしまったブログを居間でひたすら書いていました。

いつもは自分の部屋で書くのですが、居間の方がネットが早いので、画像や動画をアップするのに居間で作業したほうが効率的なのです。

居間ではコタツに入りながら、ばあちゃんと話をしながら書いていました。
ばあちゃんとの話は、夏井の話や昔の農作業の話などが多いです。
いろいろな話をしたのですが、一番印象に残っているのは「米俵」の話です。
昔は冬場の仕事だったようで、何日もかけて一つの俵をつくる。
今思えば「バカみたいだった」とばあちゃんは言っていました。今の米の袋は工場で作られ簡単に手に入るので、そう思ってしまうばあちゃんの気持ちもわかります。でも「バカみたいだった」と思う事に命の本質があり、それが芸術なのだとも思うのです。

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でもその仕事をしなくて済む、僕に何があるのか?
「昔話」として次の世代に語れるものは何か?

それをとても感じました。
僕がパソコンを開きながら作業をしていたので、ばあちゃんが「それってパソコンか?」と僕に聞きいていました。僕が今まで「仕事」としてやってきた事や、これからしようとしていることを、ばあちゃんの話と比べると「かなわないな」と思いました。

僕が今まで残業で大変だったことがあっても、食べ物と直接的に繋がっているわけではなし、パソコンでの仕事となると、説得力が違います。せいぜい僕が言えるのは、小学校の通学の話と、高校の時の冬のバイク通学と、あとは登山の話くらいでしょうか。。


「4反の田んぼを全部手で耕した」なんていう言葉を、僕が言える事はおそらく一生ないし、時代的な必然性がなければそれをしたとしても、薄っぺらいものになってしまいます。
体を使って食べ物を作ってきた人の言葉には逆立ちしてもかないません。
本当にばあちゃんの事を尊敬します。


先日雪の下から掘り起こしたネギ。外に放置(保管)してありました。ネギは色がきれいですね。
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うちの白菜漬けの樽。
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生活が便利になるからこそ、食べ物につながる体を使った仕事が出来なければ、語り継げるものが何もなくなってしまう。そして命の質がとても薄っぺらくなってしまうと、ばあちゃんの話を聞いて思いました。

自分の命が、スーパーや工場に置き換えられてしまったり、それらの装置がなければ生きていけないというのは、あまりに寂しく豊かでないと僕は思います。

ばあちゃんの話やこういう事をちゃんと形にしなければいけません。



ゴウと散歩に行きます。
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屋根の上から落ちてきた雪はなかなか融けません。ハウスの骨組みが半分埋まっています。
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でも今日一日で雪がずいぶん融けました。これは昨日。網を目安にすると下から5番目くらいまであります。
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今日。網一つ分5~10㎝は融けています。ブランコのパイプも出てきました。
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裏の用水路に行ったら水が激減して底が見えていました。
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空の色が淡い青、白、黄に見えました。(写真薄くてわかりにくいですが)
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雪が融けてくる気温になると、空が鈍く重い色に感じます。
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